建築の要素はエゴで決着するのではないか。

とある物件の内検討のために3Dモデルをがんがん加工している。
図面から空間をイメージすることは建築専門家の一つの能力だと思うが。例えそれがヴァーチャル空間でも、精密なモデルがあれば建物や空間をイメージすることは容易である。そうなると、誰しもが建物の最終形をイメージ出来る。さらにヴァーチャル空間はアクセス数に限りがないから、同時に多くの人が仮想建物の設計に従事することができる。仮想施工ともいえるのでは。
みんなで作り上げること。それはイメージ出来る。
では、それによって何ができるか。たくさんの人の意見が集約された建物ができる。はたしてそうか。
多くの意見を集めることは可能だが、建築は丸なのか、三角なのか、四角なのか決める必要がある。
それを決めるのは誰かのエゴで在ると思うし。それがエゴであることで誰も不幸にならないと思っている。
なんか違う言葉がもっとありそうだけど、今日考えたのはそんなこと。