まなざしのデザイン
風景はそこにあるのではなく、見る者が作り出すものである。物を見るまなざしが変われば風景は変わる。
風景だけのことではなく、あらゆることへのまなざし
プレゼンを聞いて
伝えたいメッセージは基本的には同じなんだけれど、作品の数々が具体的に語られるので、仮想的に作品を経験したようで、風景異化の疑似体験をしたような気分になる。いやそれは、単なる想像であって、本当に作品を体験するような気持ちなのかもしれない。そう想像することすらワクワクする。そこで思うことは、霧はれて光きたる春など、氏の作品に協力したり体験したことがあ人とそうではない人では感じ方が全然違うのだろう。
アートは、それが例え記録や映像であっても人の心に触れる、まさにそれは風景異化なんだろう。
本を読んで
いろいろな言葉が印象に刺さるのだが、プレゼンの前に読んだ印象では理論としてのまとまりを強く感じた。
まなざしのデザインの「デザイン」には少し違和感を感じたままである、それはデザインという言葉に対する私のまなざしが固定されているからかもしれない。デザインというよりももっと広い意味(効果というのか)を風景異化はもっているようにも思う。
ハナムラさんは、まなざしのデザインが肯定される(例えば流行する)よいなことがあれば、それを否定するだろうと言っていた。それがまさにまなざしのデザインなのだろう。
学生時代から氏の影響を受けている私はこれからもその思想と行動を追いかけるだろう。いや、追いかけるだけではダメなのだが。