医療とVR

情熱大陸にでていた技術に興奮した。
人物は医療イノベーター 杉本真樹氏
スポットライトが当たったのは、外科手術の現場で臓器や脊髄などを立体的に可視化する技術。拡張現実(番組ではVRとされていたが、MRだと思うが)により、オペのシュミレーションと実施の際のイメージ補強に用いた技術であった。
ここまできていることを正直知らなかった私は驚いた。驚いたのはその実用性である、データ整備のスピード感とハンドリングがとてもスムーズなように見えた。
外科医でもある彼は医療のレントゲンに疑問を持ち、立体化の追求を始めたという。この技術はもちろんすごいが、注目すべきは彼のパーソナリティだと思う。外科医であることと、テクノロジー追求型(テクノロジーとの親和性が高い)ことがマッチングしているようだ。外科医であるからこそ、医師とイメージを共有し、必要なデータを理解しスピーディに作成、事後のフィードバックも的確に、という感じであった。拡張現実を用いたオペ室にいても違和感がない。

見えないものを見えるようにすることで、「先に確認できるから、安心して進められる」、「感度がいい」と、医師のコメントであった。医療の現場にはとても有効なツールのように見えた。見えるようにするために、レントゲンの方法も変わる。まさに相互作用が起きている。
では、建築ではどうか。建築では、完成したものはほぼ見えるのである。見えないものはコンクリートの中の鉄筋や、見にくいもので天井内配管などがあるが。であれば、拡張現実が役立つのは完成前ということがまず、考えられる。
医療における医師が、建築の施工者としたら、拡張現実は作るために役立つか、もちろんイエスだろう。イメージしながら作ることにはメリットがあると思う。
さらに、建築が完成するまでのプロセスにはクライアントなどの関係者がいる。その人たちとイメージを共有することは、完成するまで実物が無い建築をよりリアルに理解してもらえることになる。「こんなものだと思っていなかった」というリスク回避にもなるし、建築家が思っているイメージを理解してもらうことにもなる。
イメージの共有が、建築に寄与するのかどうか。完成まで実物がみえないために建築の完成時は独特な興奮がある、その興奮をもとに考えたい。
拡張現実などによりイメージの共有が出来ていないとき、クライアントを含めてユーザーが完成後の建物をイメージすることは、ほぼ不可能であろうと思う。だからこそ、それが完成する瞬間に感動と興奮が生まれる。そして、その感動が、後にに使われる人にもうまれる建築は長く愛される。完成するときの予測不可能性はある種の意味を持つ。
技術を用いて、可能な限りのイメージ共有をするとき、上記の予測不可能性は薄れるだろう。代わりに生まれるものは建築への意識と考えたい。ここでいう建築への意識とは何か。一言で言うと建物のことを知っている、ということであるが、具体的には、完成前のプロセスの中でイメージを共有しながら、この部屋の大きさとインテリアを決めた、だから、この部屋はどういう風に使っていくと良いし、こういう風に掃除する必要がある、ということに対する意識である。上記の意識が建物の愛着へとつながり、建築が長く愛される。
上記の考察の前者が持つ良さ(建築家にとってある意味で都合の良い)は、後者により失われるのかもしれない。それが、建築にとって不幸であるのかどうか、または、そのような良さが建築にあるのかどうか、考える意味はあるのではないか。