「助けて」と言われること

生まれ故郷の高齢化という現実に直面したような出来事があった。

高齢の方だけで住んでいる家は増えているのだと思うけれど、近所を頼って「助けて」と言えることの大切さへの実感と、変化(高齢化)がとまらないだろう地域はどうなるのだろうという心配が改めて自分の頭にこべりついた。

自分に何か出来る(やりたい)と思うことは自惚れなのかもしれない。でも。生まれ育った場所への思いはやはり強い。自分も子どもが出来て、自分を育ててくれた環境・場所の大切さを感じることも増えていて、その思いはさらに強くなっているのかもしれない。

 

それは、大型連休で故郷に帰っていたときだった。

「お父さんが倒れた、助けて」夜に実家に電話がかかってきた。ご近所からだった。

母と姉の3人で雨の中を走ってかけつけた。幸い、長湯が原因でふらついただけだったようで、看護師の姉が様子を伺って、救急車も呼ばずにすんだ。

この家はご夫婦2人で住んでいて、ご主人は過去に大きな病気をしており、奥さんはとても不安だったのだと思う。

日頃からの近所付き合いが、「助けて」と言える関係を作っていて、そのおかげですぐに連絡してもらえたのだろうけれど、地域の高齢化は確実に進んでいて、「助けて」に応えられる人が減っているのが現実である。「助けて」が言える関係とそれに応えられる人がいることの貴重さ大切さを再確認したように思う。

こうした関係性が地域が持ち続けることが出来るのか、ということを想像してみると、不安になる。

自分がそうであるように地域を離れる若者もいて(少ない方かもしれないが)、地域を離れた者が帰らなければ、子どもは減る。高齢化=外に出ることが減るという現実は避けられないので、近所同士の会話が減ることも避けられないように思う。

そうした課題を目の当たりにして、自分の生き方をどうするのだろうか。先に書いたように自分に何か出来るなんて思うことは自惚れなのかもしれない。ただ、モヤモヤするこの思いをどうするのか、どんな生活が自分のやりたいことで、必然なのか、よく考えないといけない。