他者と暮らす

家族の規模は小さくなっている。と言えるだろう。

平成27年度の国政調査結果によると、「親と同居している世帯」数の総人口に占める割合は平成12年から一貫して低下しているという。このデータだけで判断できない部分もあるのだろうけれど。そういう傾向にはあるのだと思う。

理由まではわからないけれど、「必要なくなってきている。選択肢が増えている」ということが言えるのだろう。

1年前から子どもを含めて3世代が一つ屋根の下で暮らし始めた。

人と一緒に暮らすというのは、色々とある。たしかに色々とある。どちらかというと一人が好きな私がどうしてこういう生活にいたったか。それには色々とあるのだけれど、一言で言うと、「別々に暮らすことが無駄に思えてきた」のである。同居していれば、一つの部屋を暖めてみんなでいれば暖かい。(コロナ禍でみんなでいることが難しくなっているのかもしれないけれど)親と離れて住む場所を手に入れるためには単純にお金がかかる。今ある場所にみんなで住むのが一番ローコストだ。子供にかけるエネルギーを分担できる。子育てはエネルギーと時間がかかるので大人が周囲にたくさんいると少しでも分担できる。親と子どもだけで暮らしていると子どもを置いてどこかに、みたいなことは難易度が高いのだけど、親の親がいるとハードルはぐっと下がる。

ただ、人と近いということはやはり反発もあるものである。人と人は磁石みたいだ。どんな人でも他人であることに変わりはなく、他人と暮らすことには心のストレスがある。他人の行動にイラっとするように他人も自分の行動にイラっとしているのだろう。

小学校の先生が「家族が多い子どもは他人のことがよく考えられる」と言っていたそうだ。型にはめて考えることの危険性を感じるのだが、大きな傾向としてはあるのかもしれない。自分の子どもたちのことについては、他人と住むことでいいこと(いい経験)があるだろうと思って、肯定している。いやだと思う気持ちも含めて、感じればいいのだ、感じたあとにそれををどう捉えるかは子ども任せである。生活が本当につらくなってきたらその時に考えればいい。家を出たくなったら出たらいいのだ。

いい面も悪い面もある。事実としてエネルギーの効率はいいはず(沸かしたお風呂は大勢入る方がエネルギーは有効活用できる)だし、みんなで食べるご飯は美味しい(イラっときている時は一人で食べたくなるけど)ので、単純にそれでいいのだと思う。距離感がほしくなってきたら、場所を作ればいいのだろう。田舎には土地はある。エネルギーもコストもあまりかけずに住める今の形にはある程度しっくりきている。

高齢化の社会において、世代ができるだけ集まって住むというのはエネルギーとコストの節約になるような気がする。その形は必ずしも血縁でなくてもいいと思うし、24時間ずっと、でもなくてもいいと思うのだ。暮らすにはいろいろと負荷がかかる。その負荷を分担できるような仕組みや関係性がもてれば、幸せ度が上がるのではないか。そんなことを考える余白みたいなものが地方にはあるようなきがしている。