祖母の死

3週間くらい前に祖母が永眠した。

友人の親や親せきなどの死を体験したことがあるが、自分に“近い”人の死は初めてである。

両親が共働きであったので、保育園の送り迎え、小学校運動会の参観、小さい時はずっと祖母と一緒だった。本当に可愛がってもらった。

祖母は強い人であった、田舎者らしいと言えばそれまでなのだが、形を大切にする頑固さを持っていた。文化人でもあり、茶道、書道、水墨画をたしなんでおり、そのすごさ、面白さに気づいたのは建築を志して文化に興味がわいてからだったが、もっと早く気付くべきだったなと思う。

人の死は不思議だ。祖母が亡くなったその日は本当に悲しくてたまらなかった、だけど少しづつ日が経つにつれて、信じられなくなってきた。今となっては本当に亡くなったのか分からなくなる時がある。でもいつもの食卓に祖母はいないし、祖母の声は聞こえないのである。

私の子どもたちにとってはひいおばあちゃんだが、子供たちがひいおばあちゃんと一緒に暮らすようになってから8か月が過ぎた時にひいおばあちゃんは永眠した。ひいおばあちゃんの死に触れてこどもたちが経験したことはとても大切なことなのだと思う。一緒に住んでいたから近い存在であるひいおばあちゃんが亡くなるということ、人が亡くなるということはどういうことなのか、そんなことを子どもたちなりに考えたのではないか。

祖母がかなり弱っていたとき、娘は保育園に行く前に必ず祖母の部屋に行き「行ってくるね」と言っていたそうだ。祖母の最後の日、娘は何かを感じたのかもしれない、「ひいばあちゃん、家におらなあかんで」と言って家を出たそうだ。こどもながらに何かがわかるのかもしれない。息子は歩けなくなって、部屋をほとんど出られなくなったひいおばあちゃんの部屋に必ず「おやすみ」と言いにいっていた。

そんなひ孫と暮らした家で祖母は最後を迎えた。祖母自身が色々な時間を過ごしてきた場所で、静かな最期だったという。

実家に戻り祖母と両親と住むようになって、悩みはほとんどなかったがゼロというわけではない。でも祖母の死に触れて、帰ってきてよかったと心から思える。一つ屋根の下で暮らす家族が多いことは、色々な感情がぶつかるし、楽ではないのかもしれない。だが、生きることを充実させてくれるのは間違いないのではないか。

最後まで力強く生きていた祖母がそれを教えてくれた。そして見守っていてくれているような気がする。