働き方の変化

コロナ禍で世間はテレワークの広がりやオフィスの存続可否論など、これからの変化について色々と議論されている。

私個人はコロナ禍の前に尼崎→大阪市内の通勤生活から淡路島(生まれ故郷)への移住を決めていたのだが、コロナ禍でのリモートワーク環境拡充によって、淡路島からテレワークをしたり、大阪市内に通ったりしながら仕事をしている。

そんな立場から働き方の変化について考えると。「すぐには変わらない」のだと思う。今はコロナ禍という状況が変化を脅迫にしているような状況があると思うのだが、それが落ち着けば、大勢としては元の状況に戻るのだろうと予想している。みんなが変わるためには「みんながバカにならないといけない」と考えているのだが、「バカになる」のは本能的に難しいと思う。バカにならないといけない思う理由は、変化のためにはストレスや非効率などのマイナス面を引き受けないといけないからだ。効率や生産性を追い求めていると「変わらない」という選択肢がやはり高得点を得るような気がしている。「バカになって」でも変化することの効果はそういった指標では測りがたいように思うし、測れたとしても効果がでるのには相当な時間がかかるのではないか。

私が移住を決めた理由は「変わりたい=バカになろう」と思ったからである。働きやすさ、チャンスの多さであれば都心に近い場所の方が多いのかもしれない。ただ人生は働くためにあるのではないし、長い目で見ればどこで「いい働き方」が見つかるかなんて今はだれにもわからない。では今「自分がどうしたいか(してみたいか)」ということから動いてみてもいいように思った。移住するのにはもちろんストレスもあったし、これからもあるのだろう。ただ、小さな決心を重ねていくと、そのストレスもその時に何とかできるかもしれないと「バカになれる」ような気がしている。まあ、廻りに家族や友人など支えになってくれる人が多いのでそんなことが言えるのですが。

変化する集団が大きければ大きいほど、人数が多いほど、変化に対するストレスは大きくなり、「バカになりにくくなる」。もし働き方に変化が必要とされているのだとしたら、働き方の変化ではなく、働く集団の変化が必要なのかもしれない。それは集団(組織)を解体するということではなく(もちろんそれもあるのだが)、より個の個としての濃度が増したような集団に変化することなのかもしれない。